娑婆即寂光土 ~ 春のお彼岸 ~
まだまだ寒いが続いていますが、少しずつ春の気候へと移り変わっています。
今年も彼岸の七日間が始まり、当山では春と秋の彼岸入りに合わせて彼岸法要を行っています。
「彼岸」とは、私たちが生きる此岸から仏の世界である彼岸へと心を向け、仏道修行に励むことを意味します。
仏教では、地獄や仏界は外に存在するものではなく、実は、私たちの心の中に備わっていると説かれています。
ここで日蓮聖人が書いた御遺文の一説を紹介します。
「そもそも地獄と仏とはいずれの所に候ぞとたずね候えば、あるいは地の下と申す経もあり、あるいは西方等と申す経も候。しかれども委細にたずね候えば、我等が五尺の身の内に候とみえて候。さもやおぼえ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母をおろかにする人は、地獄その人の心のうちに候。たとえば蓮のたねの中に花(はな)と菓(み)との、みゆるがごとし。仏と申す事我等の心の内におわします。」『重須殿如房御返事より』
(現代語訳)
「そもそも地獄と仏とはどこに存在するかと尋ねてみると、あるいは地獄は地の下にあるという経文もあり、あるいは仏は西方極楽浄土などにいらっしゃるという経文もあります。しかし、よくよく調べてみると、地獄も仏も私たち五尺の身体の内に存在するものだということが説かれています。その証拠になると思われることをいえば、私たちが心の中で父を侮ったり、母を疎かにすることがありますが、それはその人の心の中の地獄が働いているのです。それは例えば、蓮華の種子の中に花と実が宿っているようなものです。また仏も私たちの心の中にいらっしゃいます。」
日蓮聖人は、私たち誰もが仏となれる可能性を「仏種(ぶっしゅ)」をよく蓮の種に例えて説かれています。
蓮は泥の中で育ちながら美しい花を咲かせます。同様に、私たちも煩悩に満ちた日常の中で忍耐や努力を重ね、仏道修行する中で、心の内に仏の世界を感じられるようになると教えています。
仏道修行とは、家族や身近な人への孝行や、亡き人への供養を通して感謝を伝えることです。仏壇に手を合わせることやお墓参りなど、日々の行い一つ一つが大切な修行となります。
このように、私たちの生活そのものが修行道場であり、それがそのまま仏の世界につながるという教えを「娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど)」、また、「即是道場(そくぜどうじょう)」といいます。
お彼岸は、自身の生活を見つめ直し、同時に先祖を敬い供養する期間です。
この七日間を通して皆様と共にお題目を唱え、仏道修行に励みましょう。


この記事へのコメントはありません。