法元寺について

山 号光瑞山(こうずいざん)
寺院名法元寺(ほうげんじ)
宗 派日 蓮 宗
総 本 山身延山 久遠寺
開 祖日蓮大聖人
本 尊久遠実成の釈迦牟尼仏
経 典妙法蓮華経

寺院沿革由来

当山は、元和年間(1615-1624)に松尾山光勝寺(佐賀県小城市)の第十九世尊重院日億上人によって建立されました。

もとは、杵島群筒江(現在の山内町)に在り、山号を「江瑞山」と称していましたが、日億上人によって、有田の地に移され「光瑞山」と改称されました。

当山は法華経五千部を読誦し、17日間国家安全、陶器成就、当山繁栄の祈祷を勤行したところ、その効果が著しかったとされます。

そのため、元文元年(一七三六)には、鍋島五代藩主鍋島宗義公より御朱印並びに御紋付提灯を拝領し、「山中繁栄、諸災転除」の勤行を命じられ、陶器祈願所となりました。 当山の門前には自然石に「陶器祈願所」と彫られた石碑が建っております。 明治の頃まで、正月と七月の十六日に当山より宗派問わずに各窯元に祈祷の本符を配り、窯焼は、本窯火入れの行程の度に当山の祈祷符を請て、 竹の端に挟み、色見穴(窯の中の陶磁器の焼け具合を見るため窯室にとりつける小さい窓)に建てられていました。

また、法元寺は、文化十三年(一八一六)に起きた有田の大火によって、火災から免れることができず一度焼失しております。

現在の本堂、鬼子母神堂は嘉永七年(一八五五)、山門は天保二年(一八三二)、昭和二十九年(一九五四)に、本堂、鬼子母神堂、山門、屋根の修繕、昭和四十六年(一九八一)には、宗祖降誕七百五十年事業として山門及び庫裡一部改修、昭和五十八年(一九九三)には、白衣水子観音が建立されています。